全国1千万のおじさんブログファンの皆さま、お待たせしました。シーズン2の始まりです。
今回も私なりに日頃思うこと、考えることをいろいろとつぶやいていきたいと思います。
さて記念すべきシーズン2の第1弾は、『ノブレス・オブリージュ』という言葉です。
有名なので、知っている人は知っているこの言葉。
直訳だと「高貴さは、義務を強制する。」になるそうですが、「財産や権力、社会的地位というものは、自分自身の能力ではなく社会から与えられたものなので、自分を犠牲にしてでも果たすべき社会的義務がある」という考え方です。
元々は西洋貴族の啓蒙として、自発的な無私の行動を促す意味があったとのこと。
仕事の上で特に上司の方々にとってこの考え方は、とても大事だと思います。
30代の後半にもなると、いろいろな場面でグループのリーダーや何かの取りまとめ役を任されるケースが増えてきます。
(あくまでも任されるのであって、やらされるとは違います。やらされていると感じてしまっている人は、ちょっと考え方を変えた方がいいかもしれません。でも、本当にやらされているだけかもしれませんが・・・。)
さらに進んで、課長、部長とどんどん責任の範囲も広がっていきます。
この段階までくると、意識するしないに関わらず、自然と身についている人が多いと思います。
社会的地位がその人の考え方を造るのか、もともと『ノブレス・オブリージュ』的な性格の人が責任者として選ばれるのか、卵が先かにわとりが先かの話になってしまいますが。
まあ、両方でしょう。
私は20代の時にこの言葉を知り、こんな心境になる日が果たして自分にはやってくるのだろうかと思いました。
自分のことで精一杯で、他人のことまで気が回らないのではないかと。
でも、今は時々この言葉を思い出し、なんとなく意識しています。
なぜそのような心境になったのか、自分なりに分析してみました。
グループのメンバーといっしょに仕事をしていく中で、その人たちの人生のある時期に少しだけ自分が関わっているという責任を感じているのではないか。
その意識がメンバーに対して、いい加減なことは出来ないなと働いているのでしょう。
でもそれが不快でも負担でもなく責任を果たすことが、むしろ心地よい心境になっている自分がいます。
自分なりにやれることはやっているという満足感はあります。ただの自己満足ですが。
さあ、職場の責任者の皆さま、『責任ばかり重くて、報われない苦労をする立場』ではなく、『責任が重いおかげで、報われる苦労ができる立場』を楽しみましょう。
(やろうと思っても全員がやらせてもらえるわけじゃないし、あなたが選ばれたので。貴重な体験ですよ。きっと。)
【今日の格言】
『知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である。(澤柳政太郎)』
次回乞うご期待。
シーズン2開幕で張り切っているような気がしているおじさんより